ScalaでDI
なぜDIが必要か
DIする理由にも記述したが、これはユニットテストのためであると断言してよい。 DIすれば他にも様々な恩恵が得られるが、それらはむしろ副次的なものである。
いわく、「DIすればアスペクト指向によって、処理をはさみこむことができる」という。デバッグトレースには有効かと思うが、トランザクション管理に使うのは全く賛成できない。トランザクションを意図したコードであれば、それは明示的に記述されるべきであり、そのような意図の無いコードに後付するのは危険が伴う。
「(本番の)実行時に処理を変更できるからだ」という人もいる。これも同じで、そもそもそのような意図のコードであるなら、明示的にそれが記述されるべきである。そのような理由でインターフェースと実装を切り離す必要があるのなら、そもそもインターフェースを明示的に引数として渡すようなコードになっていなければならない。
DIはユニットテストのためにのみ存在するのである。それ以外の点で、もしDIを便利に使える場面があるなら、それはDI以外の方法で実現されなければならない。
DIはどうあるべきか
実戦での Scala: Cake パターンを用いた Dependency Injection (DI)という文書があるが、(私の定義では)これは全くDIになっていない(もちろんGuice以外の方法)。特に、Cake Patternはインターフェースと実装の分離ができているとはとても言えない。
上記を踏まえて、DIがどうあるべきかを考えてみると、私の意見としては以下である。
- テストされるコードとは無関係の場所でインターフェースと実装を結びつけることができること。
本番環境ではデフォルトの実装が、特別な操作無しに暗黙的に選択されていること(GuiceのImplementedByのようなもの)。
- インジェクションされるかサービスロケータとして実現されるかはどちらでも構わない。
- しかしむしろ、サービスロケータの方が理解しやすく、制限も緩いので望ましい。
- DIするときの記述はできるだけ簡単であること。「new コンストラクタ(引数)」と同様の短い記述で済ませられるのが望ましい。
- 特に注入されることを意図していないクラスの取得(生成)でも同じ記述ができること。
- DIはユニットテストのためなのだから、モックが簡単にできること。
- DIライブラリは小さくなければならないし、小さくすべきである。GuiceでさえAndroid向けには大きすぎる。
liftのDIを調べてみる
もちろんこれは、狭義でのDIではなく、サービスロケータと呼ぶべきものである。作者も「どうとでも呼んでくれ」と言っている。
むしろ私にとってはそのほうが都合がよいのだ。狭義の「インジェクション」など必要ない。
続く。